食物連鎖の行きつくところ   
H. 「英智」に対する期待
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 人類は大きな転換期に立たされている。成長と繁栄の中で忘れてきた大切なものを取り戻したいと考え始めたからだ。自然との共生を実現するためには、どのような秩序をつくらなければならないのだろうか。このようなテーマが、ローカルな立場とグローバルな視点との両面から問われていると言えそうだ。

開発途上国の工業化への移行がもっとも加速されつつある現代において、かつては時代の流れから取り残されて苦しんでいた地域それ自体の価値―今度はその自然の価値が見直されている。

経済的発展をエネルギー資源抜きに論じることはできない。エネルギー資源の消費や開発には、大なり小なり必ず生活の環境が関わってくるからだ。地球環境保全の問題は、新たに国際的な立場の違いを浮かび上がらせた。国内の環境アセス(環境影響評価)は開発業者の手で、しかも多くは行政指導を受けるなどして実施されている。環境に思いをよせうる豊かな国ならば、将来、法制化は避けられないであろう。

こうした時代の中にあって、わが国でも、しばしば人間と自然と文明の関係がクローズアップされてきた。人間―自然―文明の関係軸から連想させられるものは、かたや地域振興であり、かたや環境保全の観点である。私たちは時おり、農山村での過疎化と地域振興の話題に、地球温暖化対策における先進国や途上国の立場の縮図を見ることがある。


 地球環境保全を意図する行為といっても、追求する自然度にはランクの違いがある。一般的には開発という概念に属する行為でも、いずれは保護の対象となる優れた空間を創造するような意義のある行為もあるだろう。

  1. 古代や中世のままに天然に近い状態が保たれた自然
  2. 人為的に加工、管理された自然
  3. 管理された自然と天然との混在
かつて、ある西洋の科学者は日本の水田をはじめて見て、【見事に管理された半自然 】と評した。『日本の自然をどうするかは、日本の農業と林業をどうするかを論じないで解決はない』ということもある(田端英雄「里山の自然」、保育社)。

家から歩いて5分もかけずに行ける里山は、今でもおだやかな地形的変化を見せている。秋にはアケビやキノコを満喫したこともある。そこでは、四季の変化と多様な生き物の調和がかもし出されている。キノコは木々の世代交代を請け負う処理業者だが、自然に備わる物質循環の営みはほかにも無数にある。

子供のころ山里に入って遊んだ記憶は心の宝のようによみがえってくる。子供時代に経験したジャガイモの植え付けやホウレンソウの種まきは、私たちに自然の恵みを理解させてくれた。同じような体験は、子供たちの世代にも必要なのではないか。昨今は、身近な自然の中で土に親しみ、冒険を楽しむことが忘れられている。

 反対に事例は少ないが、自然環境や生物の生態を守るためにヒトひとりたりとも入ることを拒否する、というような保安域が日本にあっても不思議ではない。もしも人的行為によって自然環境が破壊されたら回復が困難である場合や、人的行為の必要性がほんの一過性のものにすぎない場合などがこれに当たる。

 1998年2月の長野冬季オリンピックは、「環境にやさしい」というのがセールスポイントだった。その滑降競技コースが準備されるに際しては、五輪本来の競技の質を維持したいとするスポーツ界(国際スキー連盟FISなど)の立場と、稀少動物の棲息する国立公園第1種特別地域を守るという長野県組織委員会(NAOC)など環境保護の立場とが、4年間にもわたって対立し続けた。時間切れを間近にひかえ、結局、両者の間に設けられた検討委員会が新コース案を策定して決着がはかられた。問題の男子スタート地点は、スポーツ界の要望に近い標高1,765mまで引き上げる。その代わり、NAOCの当初案であったスタート地点より上部へは観客を入れないこと、積雪次第では当初案を実際のスタート地点とすること、新コースが通過する特別地域内には旗門などの工作をしないことなどが付帯条件とされた。
岡山市内のあるJAでは、オリンピック村で使う「食べられる食器」を製造した。これは、もち米、うるち米、でんぷんを原料としたトレーだ。休耕田でも、このような素晴らしい工夫によって食用以外の穀物を栽培できるなら、ほんとうに申し分のないことだ(西大寺中野)。


 今日、私たちはもはや治水工事の行われなかった古代に戻ることは不可能なように思われる。しかし、水無月の真夏の瀬戸内海にひびく鶴の鳴きごえが、そして鶴の棲息に適した湿原が、日本中どこにでもあったことに思いを馳せる余裕を持ちたいものだ。

ラムサール条約が語りかけるように、湖沼、河口、干潟などの浄化能力を完璧な人工の建造物が肩代わりすることなど出来ない相談なのだ。

いかなる可能性も否定する理由を誰ひとり持ってはいない。いま確実なことを少なくとも一つだけ言うことができる。21世紀の人類が美しいと思う環境を選択することができるのは、私たち現代の地球人、国民、地域人をおいて他にいないのだと。


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