持続的発展   
E. 化学でも出会う「拡散」
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 『拡散』の意味について、高等学校化学の教科書は
    『物質が自然に散らばっていく現象』
と説明している。基本的にはエントロピー増大の法則との関連で正確な、できれば数量化した取り扱いの可能なことも学ぶべきであるが、ここでは数量的な取り扱いについては触れない。そのかわり、社会問題となっている一つのトピックを考えることによって、人間生活との関連から『拡散』のもたらす特徴をとらえてみよう。

たとえば塩化ビニル製の電線被覆剤を焼却するなどして、再生して利用するのを怠っていると、焼却の条件によってはダイオキシンが発生し、大気中や土壌中に拡散していくおそれがある。いや、焼却での発生を完全にゼロにするほうがむしろ難しいとさえ言える。電線を多量に廃棄する機会の多い電力業界などでは、リサイクル利用の技術の確立を急ぐ事業所があってもおかしくはない(それで国民の健康が守られるばかりか、廃棄物の削減、電線の製造コスト低減にも貢献できる)。

環境との関連で『拡散』の特徴をつぶさに見て取れる現象は、産業廃棄物の他にも、私たちの生活に身近なところで、それこそ数え切れないほどたくさん散らばっている。焼却炉からダイオキシンが発生しているという研究報告が1977年にあり、欧米先進諸国はすぐに実態調査に着手した。環境や国民の健康を守ろうと、一般廃棄物の新設を一時たな上げにしたのち、1986年には法律で排出基準を0.1ナノグラムと決めたスウェーデンのような国もある。わが国で行政基準が定められたのは約20年後のことで、1996年に厚生省は、ヒトが1日に摂取する安全な量の目安として体重1kgあたり5ピコグラムとした。

教養学部棟中庭にて羽を休めていた一羽の山鳩 物質が拡散していく場所について、あなたは無意識のうちに体外の環境を思い描いているかもしれない。しかし、べつに体内への拡散があっても何の不思議もないわけである。そして生物の体内ということになると、もはや拡散→希薄化≠ニいう図式は当てはまらない。生体内部も含めて自然界ということになると、ことは単なる『物理拡散』だけでは済まないことが理解できるであろう。

 1990年台初頭から、巻き貝の一種であるイボニシのメスにオスの生殖器ができる現象が、わが国のあちこちで起きていると報告されていた。1997年には異常に小さい精巣をもつコイが東京都の多摩川で、そしてメス化したマコガレイ類のオスが東京近海の海底で、それぞれ発見されている。また、建設省が「流域水環境研究会」で公表した、全国8河川を対象とする内分泌かく乱化学物質(環境ホルモン)の調査結果(後期分は、99年3月30日発表)によれば(川と水のページ参照)、7河川のコイのオスから、メスにしかないはずの卵黄たんぱくが一定濃度以上検出されている。

このような調査研究や適切な対応はきわめて重要で、もっと多くのデータを積み上げる必要性が指摘されている。野生生物を脅かしている環境ホルモンが、われわれ人間にまったく無関係とは思えないからである。極めて多岐にわたるヒトの健康への影響が懸念される化学物質について、厚生省は、積極的に調査研究を推進しつつ新たな問題に対する速やかな対応をとるとしている。

 とりわけ、『若い世代ほど精子の数が減少している ――』というヨーロッパ各国での1990年代前半までの調査結果は衝撃的であった。

わが国でも慶応大学医学部による男性6,000人分以上(最新は20,000人)の調査データがありRef.1、『精子の数は30年間で約1割ほど減っていた ――』。また帝京大学医学部の研究チームが1996年から続けてきた調査でRef.2、精子濃度には年齢が若くなるほど大きくなる地域差があることがわかった。格差は東京地区と地方とでもっとも大きく、また40代では差がないのに20代では3倍近く広がっていた。

こういった地域差は、胎児期の環境ホルモンだけでなく、食生活や大気等の環境汚染による後天的な影響をも示唆している。と同時に、調査対象者の地域や年齢の偏りは、日本人の平均値に関しての結論を先送りさせる要因にもなっている。同一条件での検査はたいへん難しいことであろう。現に日本人の精子数をめぐっては、異常なしとの結論を下した研究組織もある(札幌医大、聖マリアンナ医大など)。

詳細は、厚生省のウェブページにある報告書(H10.11.19)Ref.3、または市販の書物(BLUE BACKS「環境ホルモン 〜きちんと理解したい人のために〜」筏義人、1998年9月刊 Ref.4や、2001年1月発行「奪われし未来」シ−ア・コルボ−ンほか、など)を参照されたい。あるいは、EICネット(環境情報提供システム)のなかのTOPICS(トピックス)の1つに、 化学物質対策の動向があるので、ぜひ参照してみよう。

 さて、アメリカの動物学者シーア・コルボーンさんは、これら生殖に関する異常が、(外因性)内分泌かく乱化学物質と総称されている物質 ― 体内に入ってホルモンのような働きをする物質(通称「環境ホルモン」) ― のしわざであることを、数千編の論文を分析して突き止めた。環境ホルモンがホルモンのバランスを崩すなど、深刻な問題を引き起こす原因は、普通のホルモンと「同じ鍵穴」を持っているところにある。本来入ることのない泥棒が、ドアの合い鍵を手に入れたように、いともたやすく入ってくる。(あなたも前掲の訳書増補新版をひらくと、引き込まれるように読み進んでいくにちがいない。)

「同じ鍵穴」は、生き物が外界からの有害物質の進入を防御している機構を役立たなくしてしまう。たとえば動物の肝臓は有害な物質を無害なものに分解するが、有害か無害かの判断はDNAにある情報にもとづいてなされる。生物は、進化の歴史の時間的スケールで長期にわたり環境の中に存在し続けた有害物質に対しては、それを認識する情報と分解の機構を備えてきたが、最近になって環境中に出現した有害物質に対しては、まだ情報を持っていない、あるいは化学構造上からして無害化するすべがない。

たとえば、土壌の酸性化などにより環境に溶け出し始めているアルミニウムが他の金属元素とすり替わった化合物のかたちで人体にはいってきたとき、人体は「同じ鍵穴」にしか見えない化合物を防ぐことができない。脳に蓄積されたアルミニウムについては、ご承知の通り、アルツハイマーとの関連が取り沙汰されている。

 なお、10年ほど前にイボニシなどの貝をオス化させる働きの認められていた有機スズ化合物については、2001年3月8日、胎盤の細胞を使った実験で、初めて、人体への明らかな作用が確認されているので、ごく簡単に述べておく。魚や貝に含まれる程度のきわめて低い濃度のものを胎盤の細胞に加えて調べたところ、男性ホルモンを女性ホルモンに変えるアロマターゼという酵素が6倍も増えた。そのため胎児の成長に必要なホルモンのバランスを崩す疑いがあるというのだ(大阪大学薬学部の研究グループによる)。そして「奪われし未来」などを読むとわかるのであるが、子宮内でのホルモン暴露(妊娠数週間の時期)の影響は、何らかのかたちで一生涯つづく。


参考文献等:


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