| ◆ ◆ ◆ | (続々)21世紀によせて | ◆ ◆ ◆ |
| D. 同じ地球に生きる |
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よその国に解決できて日本には出来ない問題があるのだろうか?道路を走っているとき前の車の窓からのポイ捨てを目撃したり、公共の場でたくさんの散乱ごみを見かけたりすることが本当に多い。道徳・倫理性欠如の問題といってしまえばそれまでだが、原因の一端は
各個人の道徳・倫理の意識が環境保全・エネルギー資源リサイクル等の科学的な理解としっかり結びついていない
ところにあるのでは?と思えてならない。捨てたごみを誰が拾ってくれるというのか。心ある人々が協力しやすいように、社会的システムをつくっていく努力が重要であろう。また他者と痛みを分かつというか、幼児・児童期からの琴線に触れた体験が行動を決めるとも思われる。
このような議論ですら「用なし」とか「無駄」とみなして、いっこうに振り向こうとしない人も多いが、一見無駄と評したくなるようなことであっても、ちょっと立ち止まって深く考えるゆとりを大切にしたい。
幼児期からの必須の体験といえば、省エネルギー・環境保全の学習の機会はこの国に住む人すべてに与えられるべきではなかろうか。そのような課題を「環境問題とエネルギー教育」とでも呼ぶならば、「環境問題とエネルギー教育」には自然系ばかりでなく、社会・人文系からのアプローチも必要。人間を取り巻く環境には、自然環境のほかに人為環境もあるので、これは当然だろう。
環境教育と密接に関係するのがエネルギー教育だが、これについては研究発表も少ない。教育現場でエネルギー教育がなされるか否かが教師の力量に大きく依存するのは仕方ないにしても、最も重要なことは幼児・児童期からの体験だ。長期的な観点からは、幼児期・学童期も含めた環境教育プログラムの態勢づくりが大きな意味をもつ。
1990年代前半までの高校課程の理科教育においては、省エネルギーや環境保全の観点がとくに重視されたということはなかったように思われる。理科教育は、それまでの科目ごとの独自の価値観に固執することはあっても、環境問題、人口問題、エネルギー問題などといった、現代が抱える学際的な問題を持ち込むことは考えても見なかった。たてまえは別にしても、科学に限らず学習の利己的側面は否定できないのが現実だ。理科の履修によって科学的知識が向上しても、日常生活の行動では省エネルギーや環境保全などに配慮しないのはそのせいなのだろうか? これまでは、学校教育以前の倫理観の問題だと考えられても不思議ではなかった。しかし、現代のエネルギー・環境教育というのは、生きていく上で不可欠な個人的または公的行動の判断の根拠となる情報を確実なものにするという事である。
こういう事業は教育機関ですでに検討に移されており(鳴門教育大学「教育研究活動情報」など参照 )、学童期にエネルギー資源とそれを有効に利用する技術の大切さや、地球温暖化、酸性雨、紫外線、廃棄物処理 などの問題に目を向ける機会を増やす努力がなされているはずだ。あらゆる機会を利用した教育の役割は、将来ますます重要になっていくことだろう。
21世紀に期待したい。
| ★地球温暖化が始まったのは、いつの時代からですか。 |
★地球温暖化が引き起こす地球環境への影響を、(a)平均海面の上昇や降水量などの気候の変化と、(b)生物種・生態系に対する影響と分類して予想し、このうち(b)について、わが国における影響を具体的に説明しなさい。なお、参考までに(a)については、次のような影響が考えられています。
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