◆ ◆ ◆ 中世の遺跡 草戸千軒町 ◆ ◆ ◆


記録[きろく]と発掘[はっくつ]

 江戸時代の中ごろに書かれた備陽六郡誌[びようろくぐんし]という書物に、1673年(寛文[かんぶん]13年)の大水[おおみず]で草戸千軒[くさどせんげん]という町のあった所が水害によって流されたと書かれています。古い町があったといういい伝えもありました。

 長い間、福山市を流れている芦田川[あしだがわ]の川底に埋[う]もれていたのでくわしいことはわかりませんでした。しかし、1961年(昭和36年)から約30年間掘って調べた結果、草戸千軒の町のようすがわかってきました。

 また、13世紀の中ごろ(鎌倉時代[かまくらじだい])からにぎわっていた町も16世紀の初めごろ(室町時代[むろまち])には、もとの姿は失われていたことなどもわかりました。

 JR福山駅のすぐ近くにある広島県立歴史博物館の展示室に入ると、港に着いた船から荷あげをしているところや、市場のようすがわかります。石を敷[し]いた道路[どうろ]の両側[りょうがわ]には、いろいろな物をつくる人たちの家が並んでいます。道路を通りぬけ、柵で囲まれた町を出たところにお堂があります。中に地蔵菩薩坐像[じぞうぼさつざぞう]があります。

 この展示室に入ると、塗師屋[ぬしや](漆[うるし]をぬる人)、足駄屋[あしだや](下駄[げた]をつくる人)の仕事場や住まいがつくられ、お堂をなおす大工の仕事場があり、町の人々のくらしがわかるようになっています。炉のまわりには夕食のしたくがされていて、どのような食べ物があるか調べられるようになっています。

 また、掘り出されたものには、暖めるために使っていたものや食器などの生活に使った道具・生産に使った道具・店で使われたものなどがあります。生活を楽しむために使われた道具もあり、人々が生き生きと暮らしたようすを私たちに語りかけています。

はくぶつかん たんけん ノート(広島県立歴史博物館)を参考にしました。


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