教養ゼミ生によるレポート (教養学部 教養学科)
いま,年齢・性別・職種に関係なく実にさまざまな人が自転車を利用している。私もよく乗る。それは学校,店,駅,病院,銀行,そして友人の家へとほとんど毎日のようである。いたる所でいろんな方向から走ってくる自転車とすれ違う。自転車に乗るのに年齢制限があるわけでも免許証が要るわけでもない。ましてやガソリンのような燃料が必要なわけでもない。歩くより数倍も早く目的地に着くことができるし,たくさんの重い荷物を簡単に運ぶこともできる。どこへでも手軽に行くことができ,たいして維持費もかからない。自転車1台分のために必要な駐輪場の面積にしても,我が家にとって決して広すぎることはない。
しかし,そのような利便性がすべてかというと,必ずしもそういうわけではないようだ。荷物が多すぎるときとか,真夏の暑いとき,真冬の寒いとき,体調が思わしくないとき,あるいはまた雨の日など,たしかに自転車よりも車やバスや徒歩のほうが便利な場合がある。
(参考資料)自転車が盗まれた場所 しかし,根っからの自転車党である私にとって自転車に乗ること自体すでに日常の一環なのである。私は中学の頃からいつも自転車を放さなかった。仲のよい友達の家や学校や商店街がちょうど家からほどよい距離の範囲内にあったことも,自転車をよく利用する理由の一つとなっていた。高校3年間通学に使っていた自転車は、日曜日になるとよく磨いた。雨に濡れた日にも入念に手入れをした。つい友人の自転車と比べて見ている自分がいた。まるで新品かと思えるほどの光沢が自慢であった。
そんな自転車が盗難にあって無くなってしまった。何ヶ月たっても戻ってこない。私はまったく気落ちしてしまった。もうあきらめようと何度も自分にいいきかせてみたが,あきらめ切れるものではない。私は盗難車がどういう手順で調査され,発見されることになるのか調べてみようと思った。その調査結果に,若干の自転車社会論考をつけ加えてレポートとした。
自転車の歴史
自転車は19世紀になってから発明されたらしい。しかしそれが定説となるまでには,かなりの紆余曲折があったとされる。イギリスのバッキンガム近郊のストークポージズにある教会はステンドグラスに自転車に似た絵が描かれていることで有名だ。そのため17世紀にすでに自転車またはその着想があったという説も生まれたが,定説には至っていない。また史上初の2輪車の原理に挑戦した人はフランスのシブラックで,その自転車はセレリフェールと呼ばれていたという説があるが,これも,シブラックが架空の人物でありセレリフェールが大型馬車を意味するという理由で,ついに説得力を失った。かくて,自転車の発明者はドイツのドライス (1785-1851) ということになっている。1813年に作られた自転車は,その後1818年にフランスの特許を取得,ドライジーネの名で呼ばれた。この自転車の部品はほとんど木製であった。単純な足けり式の乗り物ではあったが,それは人間が走るよりも速く走ることを立証して見せ,イギリスにも渡るなど各地に流行していった。
最初のペダル式自転車はスコットランドのマクミランにより1839年に発明されている。ロッドとクランクを利用した後輪駆動2輪車であった。1861年頃,フランスのミショーらはクランクを直接前輪に固定したペダル式自転車を発明した。そして,ボーンシェーカー (骨揺すり) という愛称まで付けられるほどに量産されたという。このボーンシェーカー型車にはさらに,走行速度を上げるために駆動輪の前輪を後輪よりも大きくするという改良が年々施されていったため,しだいに前後輪の大きさの違いが目立つようにもなった。そして,ついに1870年イギリスの J. スターリー (1831-1881) が製作した自転車では,直径比較で前輪が後輪の3倍にもなったのである。しかし,それはワイヤスポークを採用した軽量で優雅な全金属製自転車であったので,オーディナリー型自転車とも呼ばれて紳士たちに熱狂的に愛用されるところとなり,1885年頃には欧米諸国で全盛時代を迎えている。スターリーは自転車について実に多くの発明や改良を行ったので,後年 「自転車工業の父」 と呼ばれるようになった。しかし他方,オーディナリー型はあまりにも前輪が大きすぎてサドルが高く危険でもあったので,1870年代に三輪車 (トライシクル) が製作され商業化もされている。
その後,イギリスのローソンは1879年に後輪チェーン駆動方式でサドル位置の低いセーフティー型自転車を製作した。彼はこれにフランス語で“bicyclette”と命名した。英語では bicycle と呼ばれるようになった。J.スターリーの甥 J.K.スターリーが製作した前輪と後輪が同じ大きさのセーフティー型自転車は,後輪チェーン駆動方式やダイヤモンド型に近いフレームの採用などによって今日の自転車の原型車となり,ローバー (放浪者) の愛称で親しまれ,数年後にはオーディナリー型に代わって市場を支配した。1880年代終わりになると,イギリスのダンロップが自転車用の空気入りタイヤを発明するに及んで,自転車の性能は飛躍的に向上した。
日本に初めて自転車が持ち込まれたのは,江戸末期の慶応年間であるといわれる。そのような伝承とともにボーンシェーカー型の実物が残されている。しかし記録上は,1870年 (明治3年) にアメリカからオーディナリー型自転車が輸入されたのが最も古い。当時の人々はそれを “だるま自転車” とか “だるま号” と呼んでいたという。1890年,宮田栄助がダイヤモンドフレームのセーフティー型国産第1号車を製作している。日本の社会に自転車が浸透していくのは,国産自転車の本格的な生産が開始された1900年頃以降からである。第2次世界大戦後は,自転車に対する考え方も変化することとなる。つまり,荷物運搬のための実用的な乗り物から,人だけが快適に乗れる乗り物へと変貌したのである。1960年代に入るとますます乗り心地の良さが追求され,スタイルも当初の黒塗りで重量的なものから,明るい色合いと軽快感が重視されるように変り,ついに軽快車が主流となる。そして,1960年代後半にはミニサイクルが出回るようになり,家庭婦人の買い物や通勤,通学用へと普及していった。さらに1971年5月,アメリカのサンタ・バーバラで “バイコロジー運動” が起こったことも日本社会の自転車熱に拍車をかけたといえよう。国内の自転車保有台数は1965年の約2,400万台から1975年の約5,000万台へと爆発的な伸びを示し,世界でも有数の自転車利用国となっている。
現代の問題点
しかしながら一方では,自転車利用の増加に伴って交通事故が頻発したり,駅周辺の路上に多数の自転車が放置されるなどして,歩行環境や都市美観が阻害されたり,駅前広場の機能低下をきたすなど,さまざまな社会問題が発生してきた。このような社会問題に対し行政による対応策が講じられるようになったのは,1970年代以降のことである。最初に制定された法律は, 「自転車の安全利用の促進及び自転車駐車場の整備に関する法律 (自転車法,1980年11月公布) 」である。その具体的な内容は,上記のような問題に対する適切な対応を総合的に推進するため,自転車の駐車需要の多い場所,すなわち地方公共団体や官公署,銀行,デパート,スーパーなどが駐車場の設置に努めること,というものであった。
自転車の利用の特徴は,下は幼稚園児・小学生から上はかなりの高齢者まで年齢層が幅広く,男女の性差にもほとんど関係しない,というふうなその強い一般性にあるといえるだろう。子どもの頃に自転車に乗れるようになるということは,運動神経の発達に大きくかかわるものである。左右のバランスを保ちながら前に進むのに初めは苦労した,という記憶のある人は多いだろう。しかし慣れてしまえばお手のもの。ほとんどの人はルールやマナーを守り,他人を危険な目に遭わせないような乗り方ができるようになる。1人に1台といわれる時代にあって,どこにいても自転車が目につかないことはない。車が込み合って渋滞している道でも,自転車はそのような影響をあまり受けない。しかしながら,その手軽さゆえに駐輪場,放置,盗難などの問題がいまや社会問題となっているのである。
駐輪場
- 岡山駅周辺の駐輪場の利用率は 120% 〜 130% で,明らかに不足している。しかし問題はその不足のなかみである。
- ● 岡山駅西口地下自転車駐輪場
利用者の90%は学生で,そのうち60%が大学生であり,また,全体の少なくとも70%は女性である。定期券での利用,夜間の利用が多い。利用時間は6時〜22時であるが,閉鎖後の夜間に利用台数が多いということは,朝,電車やバスで岡山駅まで来て,それから自転車で学校や職場へと向かい,夜にはまた駅まで自転車で戻ってくるという人が多いということだ。
昭和63年6月の利用台数は収容台数 2,350台 に対し 912台 であったものの,平成3年5月には初めて収容台数を越え,以来,3月と8月以外はほぼ毎月のように収容台数を上回る駐輪台数がある。学生が長期休暇となる月のみ収容台数を越えていない。
- ● 岡山駅東口高架下第1自転車駐輪場
利用しているのは主に学生,特に高校生とJR通勤者である。
歩道と兼用されている1階では,自転車と自転車の間のロッキングポストが付いていないところにまで詰め込んであることもあり,また,きちんとチェーンをかけない人もいる。さらに駐輪禁止である歩道上にずらりと並べて行く人も多い。しかし,とめる場所がより広いせいか,2階まで持って上がる人の中ではロッキングポストのチェーンを掛けない人はめずらしいし,また,間にむりやり詰め込む人も通路に止める人も稀である。上の階まで持って上がるだけの余裕のある人には,マナーを守るモラルも高いということか。
駐輪禁止となっている駅前商店街の場合,商店街に買い物に来る人よりも通学・通勤に自転車を利用して駅周辺まで来て,自転車置き場としてその場所を利用する人の方が多い現実がある。また,店員及び整備員が駐輪のしかたに関して注意を喚起しようとすると,相手は客という立場を振りかざしてクレームを付けてくるので, 「そこは入り口を塞いでしまうことになるので,こちらにとめてください」 とか 「通行の妨げとなるのでこちらへとめてください」 とお願いをしなければならないというおかしなことが起きている。
撤去・保管
- 自転車等放置禁止区域に放置してある自転車等,あるいはそれ以外の公共の場所に一定時間放置してある自転車等は,市が撤去し保管場所に持っていって保管される。
資料(1) 放置自転車等に対する措置のフローチャート 参照 (省略)
資料(2) 撤去保管状況 参照 (省略)
盗難対策
- 担当員が止めてある一台一台すべての自転車の防犯登録と車体番号をチェックし,コンピューターに入っている情報と照らし合わせて,盗難届の出ているものかどうか調べる。
盗難対策として市では,盗難車の発見の連絡を受けて自転車を取りに来た人や支所窓口に受け取りに来た人には,住所,氏名,電話番号などを記入するためのシールを渡して,自転車に貼ってもらうようにし,また,防犯登録を受けるように勧めてもいるという。駐輪場に停めているからといって,自転車の管理をしてもらっているわけではない。駐輪場によっては, 「駐輪場内で生じた盗難,その他の事故については一切責任を負いません。」 と注意事項を明示してあるように,駐輪場内で盗難に遭うこともしばしばある。自転車に付いている鍵はもちろんのこと,さらにチェーンなどの鍵を2重に掛けるようにするのがよいようである。
若い人に限らず,自転車利用者のマナーが悪いと言われ始めてからすでに久しい。放置,盗難に限らず乗り方も含めてモラルの低下は即危険性につながる。一時停止をしない,信号を無視する,安全確認もしないで急に方向転換したり横断したりする,横並びでふざけ合う,スピードの出し過ぎ,無灯火であったりすることは,現在の車社会にあっては交通事故の原因ともなることである。(資料3:年齢層別事故発生状況, 資料4:当事者別 参照 (省略)) 歩行者優先であるはずの歩道でも,歩行者を蹴散らすように進み,バリケードのように停めるのは迷惑以外の何ものでもない。
高度経済成長の結果として物質的に豊かになり,物の価値観が変化しつつある現在,人々は物を大切にするということを忘れかけてはいないか。かつては, ‘高価’ の意識のもとで自転車は貴重な物であったので,だれも放置しようとは思わず,罪の意識も強く働いたので盗みもしなかった。しかし消費文化の中で,無くなればまた買うという行為の繰り返しによって,物の価値はどんどん下がっていった。世間には物があふれ,どこにでも自転車は見かけられるようになった。他人の自転車であろうと何であろうと,おかまいなしに勝手に乗っていく。盗っても平気なので手当たり次第に盗っていく。盗られたらまた他から盗る。無くなればまた新しい物を買う。罪の意識が薄い。しかしこれらの行為の罪は深く,愚かなこときわまりない。どこかへ持って行かれた自転車は,放置されたまま街角に溜まっていくので,いくら撤去しても片づくことがない。私は自転車利用者の意識の改革無くしては,この社会問題の解決・改善はありえないと思う。どんなにたくさん便利な駐輪場を増設しても,規則を厳しくしたとしても,その効果は薄いであろう。意識改善の手始めとして,時間的なゆとりある行動をするというのはどうだろうか? これなら,ちょっとした心がけでできることだ。やむを得ず歩道に自転車を停める場合にも,通行妨害とならないように余地を残す,斜めに停める,整頓して置くなどを心がけるのは何でもないことだ。
食べる物を切りつめて遊ぶお金を捻出するよりは,ある程度きちんと食事をとって,お金のかからないサイクリングの運動をする方が健康にいい。自転車は排気ガスを出さないクリーンな乗り物だ。資源の節約になり環境のためにもよい。もちろん維持費などの経済性の面からも問題はない。サイクリングはちょっとした気分転換にもなる。冬でも晴れた昼間の買い物には自転車はいかがですか。
このレポートを完成させた頃,私のもとへ自転車を受領にくるようにという連絡があった。
- 参考文献
・ 世界大百科事典第12巻 (平凡社)
- 資料提供
・ 岡山市交通安全対策課
・ 岡山西警察署 交通課
・ 岡山駅西口地下自転車駐車場 管理人室
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