ゼミのすすみ方と小論文


 教養ゼミ(1年次ゼミ)の雰囲気は、ゼミ生による作品などから多少なりとも推察することができる。以下に挙げたのは、構想を文章にまとめた練習事例である。

 大体 シラバス に沿ってその延長線でのゼミであったと思う。“自分で考えること” をモットーに独自のテーマを見いだそうと努めていた人もいた。4作品のみ紹介する(著者たちには掲載の了解を得ている)。ほかの論文題名(後期)もあわせて一覧表 にした。


いま思うこと ―― 各学年のゼミを担当してみて
 授業ないし講義形式によらない教育活動の一つとしてゼミがある。輪講とかセミナーとかいうものもこれに類するが、教養学部でのゼミは少し趣が異なる。卒業研究にかかわる4年次ゼミ(ふつうそれは特別研究だが、学生によっては3年次からの継続も考えられる)をべつとすれば、教養ゼミや2年次ゼミは(原則的には3年次ゼミもそうだが)1年を単位として活動するところに特徴があるといってよい。

1年間ということから、特定の専門的知識や技能の修得を目的とするのは考えにくい。早い話が円滑な大学生活をおくってもらうガイダンス教育、そのためのカウンセリングの機会である。単位制度を具備する大学の機能面からすると、そのことは個々のゼミ生に自律的学習と課題探究の主体的行為を方向づける機会であるといってよいだろう。

 探究の対象については、文学、教育、人生、映画、科学技術、生活文化、スポーツ、その他の広範な中から自分なりの興味に相談すればよろしい。高校時代までは《自分は文系だ》と考えてきた人も、《いや理系人間だ》と考えてきた人も、将来のあらゆる可能性を考えに入れてテーマを決めることができる。将来の―、ではなく永遠の自分の価値を問いつづける存在そのものが教養的価値にほかならない。

 アドバイザー自身は、『生活のことば』や『実用英語』、チョット変わったところで行動科学としての『親業』などにも関心をもっているが、あえて“助言者”以上のことはしない。若い新鮮な目で調査、まとめ、発表を実践するというゼミ活動の目標は、各自やりたいと思って決めたテーマと自由に取り組むなかで、最も効果的に達成される。求められているのは必ずしも専門的な成果ではなく、せいぜい、その人であればこそ思いつくことのできるアイディアといった程度だ。それどころか、むしろ、そのようなユニークさにこそ大きな価値がある。

 自分の考えを同僚らの遠慮はばからない意見にさらして整理してゆけば、ひょっとしたら深みのあるものが出来上がるかもしれない。その深みというのは自己の人生の意味づけを表す。世界の成り立ちを確認し、自己の人生に意味意義を見出そうとする欲求は、古典的著書を読みあわせ、討論をすることで満たすことはできる。ただ、その過程を人間の社会生活という側面から考えた場合、個性と個性との戦いでなくては意味が弱い。

 つまるところ、私たちは自己の体験との関連で問題点を整理していく観察眼を、自由な発想によって、一段と飛躍発展させることができれば、と考えている。これこそ、本来的な意味での自己教育である。このように、ほんとうの自分を探しに出かける旅のような取り組みのできるところが教養学部のゼミ活動 だ。少なくとも私はそう考えている。将来さらなる価値とやりがいのある(challenging)人生のテーマを見つける喜びを収穫するために、今から種を蒔きなさい。


ゼミのすすみ方読み返す人間生活と教養の意味
 
21世紀によせて もうひとつのゼミ“特別実験・実習” 
 
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